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2015年1月19日 (月)

隠れキリシタンの里(下)  三経塚  登米市米川町綱木

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昨年(2014年)登米市祝祭劇場において、東和米川 隠れキリシタン・製鉄物語
「幸呼里 蝉しぐれは止まず」の公演があって、鑑賞する機会に恵まれました。
登米市内の文化や歴史を、市民が手作りの舞台公演を発信する「夢フェスタ水の里」です。

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[あらすじ]

1720年ごろの江戸中期。登米市束和町米川に隠れキリシタンの里があった。里人は親しみを込めこの地を、幸せを呼ぶ里=幸呼里(こうこり)と呼んでいた。烔屋(どうや)の元締めだった千葉土佐が鉄の生産を始めてから約160年。今の元締め・総兵衛率いるタタラ場では、備中から呼び寄せた吉太郎が最新の炉を使って鉄の生産量を増やしていた。里人はその陰でキリシタンであることをひた隠し、心の中で信仰を続けていた。ある夏の初め、けがをした侍が里に迷い込んだ。元締めの孫娘すずが彼を烔屋に連れて行く。侍は北にある胆沢郡出身で、キリシタン摘発の代官に追われている身だった。長く平和が続いてきた幸呼里に、再びキリシタン弾圧の波が押し寄せてきた・

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綱木農村公園にある綱木親和会館 ↑

先日、舞台となった登米市東和町米川綱木に訪れてきました。
国道346号線(西郡道路)米川小学校付近から国道456号線(藤沢街道)に入って約1Km進むと綱木親和会館(綱木農村公園)があります。
会館脇の坂をのぼると分岐を示す標識がある。右の道を行くと海無沢の三経塚があります。


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仙台藩のキリシタン大弾圧は寛永16年(1639)から翌年にかけての大籠での処刑で終息したものと考えられていたが、昭和29年になり、綱木岩木(城)屋敷で発見された「老聞並びに伝説記」により、享保年間に烔屋で働いていた隠れキリシタン120名が切捨場で処刑されたことが判明しました。
そして,ここから近い海無沢、西側の朴ノ沢老ノ沢の三か所に40人ずつお経と共に埋められたといいます。 これが「三経塚」と呼ばれています。
江戸中期に、このような大量殺戮をされたとする記録は、全国的に稀有のものとされています。

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切捨場霊場 ↑
この場所で隠れキリシタン120名が手と足に5寸釘を打たれ、磔(はりつけ)・打首等の処刑が行われた伝わっています。

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海無沢の三経塚 

川石を積んだ直径6mの塚の上には十字架が殉教者の霊をいたわるように立っています。





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