復興の歩み  石巻前網浜

ひろしの散歩道

  • ひろしの散歩道
    こちらのブログも私が公開しているものです。「復興の歩み 石巻前網浜」 の姉妹編です。どうぞこのブログも見て下さい。

東北古代史 蝦夷と城柵・官衙

歴史探訪 陸奥国・諸国 延喜式内社

ひろしの祈り 神社・寺院巡る旅

ふるさとの祭と民俗芸能

キャンナス

3.11被災女子学生奨学基金

  • 3.11 被災女子学生奨学基金
    この基金は、東日本大震災で被災した若い女性が、 困難に負けずに将来の可能性を拓いてゆくことを願って発足しました。 就学支援をするものです。
無料ブログはココログ

地図

« 江峰山 聖福寺  岩手県八幡平市西根 | トップページ | 八葉山 天台寺  岩手県二戸市浄法寺町 »

2015年10月18日 (日)

北上山 正覚院  岩手県岩手町

061_1023

岩手県岩手町御堂に天台宗 北上山 正覚院があります。
奥州三十三観音 第32番札所です。

「御堂観音」の通称で親しまれている観音様です。
大同2年(807)に坂上田村麻呂が奥州平定の折、敵味方の戦没者の慰霊と天下泰平、五穀豊穣を祈願して一宇を建立して、十一面観音を安置したといわれています。

067_1

のちに、この十一面観音は紛失したそうです。
その後、天喜5年(1057)前九年の役の際、頼義、義家の軍は炎天続きで飲料水に事欠いたが、義家が観音堂に籠り祈願したところ、夢枕があって、杉の根もとを掘ると清水が湧いてきたと伝えれています。「ゆはずの泉」と名付けられました。

076_1

この霊験に感動した頼義、義家  父子は観音堂を改築し、 義家の護持仏「千手観音」を安置し、堂名を新通法寺正覚院と命名したと伝えられています。

その後、元亀・天正(1570~1591)の頃、世の乱れのどさくさで千手観音は一時行方不明になりましたが、秀吉の手に渡り、秀吉が護持仏としていました。
やがて、家臣の蜂須賀隆長に恩賞として渡り、息女春子姫が南部藩に輿入れの際、形見の護持仏として与えたため再び南部の地に戻ったと伝えられています。

南部家の家宝として護持され、正覚院にはその分霊が奉安されたそうです。


079_1

080_1

本堂 内部 ↑

081_1

082_1

本堂に祀られている仏像 ↑ ↓

084_1

078_1

「ゆはずの泉」は北上川の源泉とされている。

077_1

水が湧き出ている ↑

057_1

059_1

湧き出た水はやがて北上川に ↑

073_1_2
 

« 江峰山 聖福寺  岩手県八幡平市西根 | トップページ | 八葉山 天台寺  岩手県二戸市浄法寺町 »

奥州三十三観音の旅」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 北上山 正覚院  岩手県岩手町:

« 江峰山 聖福寺  岩手県八幡平市西根 | トップページ | 八葉山 天台寺  岩手県二戸市浄法寺町 »