妙見山 黒石寺 奥州市水沢区黒石町
薬師堂(本堂) ↑
奥州三十三観音 第25番札所 黒石寺は、岩手県奥州市水沢区黒石町にある天台宗の寺院です。
ご本尊は薬師如来坐像で、胎内に貞観4年(862)の造像記がある。

天台宗の古刹黒石寺は、天平元年(729)行基菩薩の開基で、「東光山薬師寺」として建立されましたが、延暦17年(798)年蝦夷と朝廷軍との戦いによる兵火によって焼失しました。
その後、大同2年(807)飛騨の工匠が方7間の薬師堂を再建しました。
それから40数年後の嘉祥2年(849)には慈覚大師が復興して、妙見山黒石寺と改名した。
もとは修験の寺であり、胆沢城鎮守の式内社である石手堰神社の別当寺として、盛時には48の伽藍があったと伝えられ、一帯には多くの寺跡がある。
●田村麻呂と黒石寺(黒石寺 ホームページより)
延暦21年(802)、征夷大将軍坂上田村麻呂は、鎮守府胆沢城を築き、城内に鎮守府八幡宮神社、城輪に石手堰(いわでい)神社を官寺として建立、当山薬師寺はその神宮寺的存在となった。
しかし、この胆沢の地は北上川の扇状地の肥沃な地で、阿弖流為や母礼を族長とする集落でもあった。
田村麻呂朝廷軍は数次に亘り、数万の兵をもってこれを従え城を築いたのであったが、しばしば蝦夷による反抗には悩まされ続けた。
胆沢城は多賀城に次ぐ国府であり、奥州支配の最北端であった。
4000人の移住民の中には。軍艦、医師、弩師(ゆみし)、楽師、陰陽師、兵士、柵戸がいたことだろう。
平成8年に建てられた観音堂(第25番札所)。↑
御本尊として60cmと33cmの二体の千手観世音菩薩立像が奉安されています。
●黒石寺 蘇民祭
毎年旧暦1月7日の晩から翌早朝にかけて行われる祭り。
年の初めの厄よけと招福の祭りで、裸祭とも呼ばれ、厄年の男を始めとする祈願者の男たちによる、「蘇民将来子孫門戸」と書かれた六角柱形の小間木を入れた蘇民袋の争奪戦で知られる。
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