復興の歩み  石巻前網浜

ひろしの散歩道

  • ひろしの散歩道
    こちらのブログも私が公開しているものです。「復興の歩み 石巻前網浜」 の姉妹編です。どうぞこのブログも見て下さい。

東北古代史 蝦夷と城柵・官衙

歴史探訪 陸奥国・諸国 延喜式内社

ひろしの祈り 神社・寺院巡る旅

ふるさとの祭と民俗芸能

キャンナス

3.11被災女子学生奨学基金

  • 3.11 被災女子学生奨学基金
    この基金は、東日本大震災で被災した若い女性が、 困難に負けずに将来の可能性を拓いてゆくことを願って発足しました。 就学支援をするものです。
無料ブログはココログ

地図

« 新山観音堂  一関市花泉町金沢 | トップページ | 富山観音 大仰寺  松島町手樽 »

2015年5月 2日 (土)

中興山 徳寿院  一関市花泉字西郷目

023_2002

奥州三十三観音 第20番札所 中興山徳寿院は一関市花泉字西郷目にあります。
17番札所大祥寺からわずか2.5km離れた地です。

027

山門と本堂 ↑

山門は平成11年に改築されました。

040

徳寿院 本堂 ↑


本堂は平成21年4月に完成、約200坪の大伽藍の本堂と庫裏です。

徳寿院の開山は、長禄3年(1459)で、ご本尊として延命地蔵尊が安置されています。

034

本堂 御本尊延命地蔵尊

035


本堂の天井の龍図  ↑


028

観音堂 ↑

第20番札所 観音堂は山門を入って左側にありました。

観音堂は元禄時代のものですが、昭和62年に建て替えられ、一間(3.6m)一尺五寸(45cm)の濡れ縁をめぐらした御堂です。

031

御本尊  千手観世音菩薩 ↑

戸のガラスが反射して、写真撮影不良。

徳寿院がこの観音様を護持するようになったのは明治以降のことで、それ以前の縁起について詳細は明らかでないが、享保年間(1716~1735)の頃、中村の深井沢屋敷の小野寺家の守り本尊と伝えられています。

いつの世にか天神社境内に移し、さらに、明治の神仏分離令により、徳寿院に祀られるようになったそうです。

037


036


033

境内にある鐘楼 ↑

038

044

041

« 新山観音堂  一関市花泉町金沢 | トップページ | 富山観音 大仰寺  松島町手樽 »

奥州三十三観音の旅」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中興山 徳寿院  一関市花泉字西郷目:

« 新山観音堂  一関市花泉町金沢 | トップページ | 富山観音 大仰寺  松島町手樽 »