東光山 観福寺 一関市舞川
観福寺は岩手県一関市舞川にある天台宗のお寺です。
奥州三十三観音第27番札所でもあります。
嘉祥3年(850)慈覚大師が開創、元は吉祥山東祥寺の一坊で不動院と称した。
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観福寺は岩手県一関市舞川にある天台宗のお寺です。
奥州三十三観音第27番札所でもあります。
嘉祥3年(850)慈覚大師が開創、元は吉祥山東祥寺の一坊で不動院と称した。
薬師堂(本堂) ↑
延暦21年(802)、征夷大将軍坂上田村麻呂は、鎮守府胆沢城を築き、城内に鎮守府八幡宮神社、城輪に石手堰(いわでい)神社を官寺として建立、当山薬師寺はその神宮寺的存在となった。
しかし、この胆沢の地は北上川の扇状地の肥沃な地で、阿弖流為や母礼を族長とする集落でもあった。
田村麻呂朝廷軍は数次に亘り、数万の兵をもってこれを従え城を築いたのであったが、しばしば蝦夷による反抗には悩まされ続けた。
胆沢城は多賀城に次ぐ国府であり、奥州支配の最北端であった。
4000人の移住民の中には。軍艦、医師、弩師(ゆみし)、楽師、陰陽師、兵士、柵戸がいたことだろう。
平成8年に建てられた観音堂(第25番札所)。↑
御本尊として60cmと33cmの二体の千手観世音菩薩立像が奉安されています。
●黒石寺 蘇民祭
毎年旧暦1月7日の晩から翌早朝にかけて行われる祭り。
年の初めの厄よけと招福の祭りで、裸祭とも呼ばれ、厄年の男を始めとする祈願者の男たちによる、「蘇民将来子孫門戸」と書かれた六角柱形の小間木を入れた蘇民袋の争奪戦で知られる。
通称「富山観音」と呼ばれている奥州三十三観音 第7番札所 富春山大仰寺は松島町手樽にあります。
臨済宗妙心寺派 大仰寺が富山観音と観音堂を護持しています。
富山観音堂 ↑
松島町 富山は松島四大観のひとつ麗観として知られる117mの山です。
明治9年(1876)東北巡幸の際、明治天皇も騎馬でこの山に上っています。
この山頂に、富山観音堂があります。
御本尊は千手観世音菩薩です。
現在の御堂は伊達正宗長女 五郎八姫が再建したもので、三間(5.4m)四面に三尺(90cm)の濡れ縁をめぐらした総朱塗り、基段の石造りが珍しいとされています。
仁王門 ↑
[境内にある案内文から]
観音堂は、坂上田村麻呂が大同年間(806~810)に慈覚大師作の観音菩薩像を安置したと伝えられ、石巻市「牧山」、涌谷町「箟岳」とともに奥州三観音として信仰されてきました。
堂は、伊達政宗の長女五郎八姫が承応3年(1654)改修されたものです。
また、観音堂の東側にある梵鏡(宮城県指定文化財)は五郎八姫が明暦3年(1657)寄進したものです。
梵鏡 ↑
観音堂を護持する大仰寺は、観音堂より一段低いところにあります。
瑞巌寺100世洞水和尚が開山した臨済宗妙心寺派のお寺です。
ここからの景色はすばらしい。文政6年(1823)仙台藩の儒学者船山万年が松島湾を眺望するに最も素晴らしい松島四大観のひとつ「麗観」として紹介しています。
明治9年(1876)東北巡幸の際、明治天皇が御休息した間? ↑
奥州三十三観音 第20番札所 中興山徳寿院は一関市花泉字西郷目にあります。
17番札所大祥寺からわずか2.5km離れた地です。
山門と本堂 ↑
山門は平成11年に改築されました。
徳寿院 本堂 ↑
本堂は平成21年4月に完成、約200坪の大伽藍の本堂と庫裏です。
徳寿院の開山は、長禄3年(1459)で、ご本尊として延命地蔵尊が安置されています。
本堂 御本尊延命地蔵尊↑
本堂の天井の龍図 ↑
観音堂 ↑
第20番札所 観音堂は山門を入って左側にありました。
観音堂は元禄時代のものですが、昭和62年に建て替えられ、一間(3.6m)一尺五寸(45cm)の濡れ縁をめぐらした御堂です。
御本尊 千手観世音菩薩 ↑
戸のガラスが反射して、写真撮影不良。
徳寿院がこの観音様を護持するようになったのは明治以降のことで、それ以前の縁起について詳細は明らかでないが、享保年間(1716~1735)の頃、中村の深井沢屋敷の小野寺家の守り本尊と伝えられています。
いつの世にか天神社境内に移し、さらに、明治の神仏分離令により、徳寿院に祀られるようになったそうです。
境内にある鐘楼 ↑
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