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2015年5月

2015年5月19日 (火)

東光山 観福寺  一関市舞川

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観福寺は岩手県一関市舞川にある天台宗のお寺です。
奥州三十三観音第27番札所でもあります。

かって、中尊寺住職を務めた今東光師の筆による山号「東光山」の額が掲げられています。
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山門 ↑

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「東光山」の額 ↑

嘉祥3年(850)慈覚大師が開創、元は吉祥山東祥寺の一坊で不動院と称した。

寛永15年(1638)現在の地に移り、正光院と改め宗派も又真言宗の寺となりました。
また、貞享2年(1685)に再び天台宗に復宗し、寺号を現在の東光山観福寺と改めました。
ご詠歌から見ても刀舞草(たちもふくさ)棄馬寺(きはてら)と呼んだ時があったと思われています。
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東光寺 本堂  ↑


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観福寺 御本尊 阿弥陀如来 ↑

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観福寺 観音堂 ↑

27番札所の観音堂・舞草の観音様は本堂の右隣にあって、三間(5.4m)四面に二尺五寸(75cm)の濡れ縁をめぐらした御堂です。

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御本尊が納められている沙弥壇 ↑

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観音堂内部 ↑ ↓

観音堂内部の構造や雰囲気は山伏修験僧の祈祷道場だった往時の面影を今にとどめている。

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鐘楼 ↑

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鐘銘には「南無阿弥陀仏」 「南無観世音菩薩」と書かれている。


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境内に咲くアヤメ?  ↑

妙見山 黒石寺  奥州市水沢区黒石町

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薬師堂(本堂) ↑

奥州三十三観音 第25番札所 黒石寺は、岩手県奥州市水沢区黒石町にある天台宗の寺院です。

ご本尊は薬師如来坐像で、胎内に貞観4年(862)の造像記がある。


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天台宗の古刹黒石寺は、天平元年(729)行基菩薩の開基で、「東光山薬師寺」として建立されましたが、延暦17年(798)年蝦夷と朝廷軍との戦いによる兵火によって焼失しました。

その後、大同2年(807)飛騨の工匠が方7間の薬師堂を再建しました。

それから40数年後の嘉祥2年(849)には慈覚大師が復興して、妙見山黒石寺と改名した。

もとは修験の寺であり、胆沢城鎮守の式内社である石手堰神社の別当寺として、盛時には48の伽藍があったと伝えられ、一帯には多くの寺跡がある。


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本堂入口にある彫刻 二代目高橋勘二郎の作。↑


●田村麻呂と黒石寺(黒石寺 ホームページより)

延暦21年(802)、征夷大将軍坂上田村麻呂は、鎮守府胆沢城を築き、城内に鎮守府八幡宮神社、城輪に石手堰(いわでい)神社を官寺として建立、当山薬師寺はその神宮寺的存在となった。

しかし、この胆沢の地は北上川の扇状地の肥沃な地で、阿弖流為や母礼を族長とする集落でもあった。

田村麻呂朝廷軍は数次に亘り、数万の兵をもってこれを従え城を築いたのであったが、しばしば蝦夷による反抗には悩まされ続けた。

胆沢城は多賀城に次ぐ国府であり、奥州支配の最北端であった。
4000人の移住民の中には。軍艦、医師、弩師(ゆみし)、楽師、陰陽師、兵士、柵戸がいたことだろう。

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平成8年に建てられた観音堂(第25番札所)。↑

御本尊として60cmと33cmの二体の千手観世音菩薩立像が奉安されています。

そのほか釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩が安置されています。

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御供所・鐘楼 ↑

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●黒石寺 蘇民祭

毎年旧暦1月7日の晩から翌早朝にかけて行われる祭り。
年の初めの厄よけと招福の祭りで、裸祭とも呼ばれ、厄年の男を始めとする祈願者の男たちによる、「蘇民将来子孫門戸」と書かれた六角柱形の小間木を入れた蘇民袋の争奪戦で知られる。

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瑠璃壺川 ↑


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2015年5月 6日 (水)

富山観音 大仰寺  松島町手樽

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通称「富山観音」と呼ばれている奥州三十三観音 第7番札所 富春山大仰寺は松島町手樽にあります。

臨済宗妙心寺派 大仰寺が富山観音と観音堂を護持しています。

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富山観音堂 ↑

松島町 富山は松島四大観のひとつ麗観として知られる117mの山です。
明治9年(1876)東北巡幸の際、明治天皇も騎馬でこの山に上っています。

この山頂に、富山観音堂があります。
御本尊は千手観世音菩薩です。

現在の御堂は伊達正宗長女 五郎八姫が再建したもので、三間(5.4m)四面に三尺(90cm)の濡れ縁をめぐらした総朱塗り、基段の石造りが珍しいとされています。


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仁王門 ↑


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[境内にある案内文から]
観音堂は、坂上田村麻呂が大同年間(806~810)に慈覚大師作の観音菩薩像を安置したと伝えられ、石巻市「牧山」、涌谷町「箟岳」とともに奥州三観音として信仰されてきました。

堂は、伊達政宗の長女五郎八姫が承応3年(1654)改修されたものです。

また、観音堂の東側にある梵鏡(宮城県指定文化財)は五郎八姫が明暦3年(1657)寄進したものです。




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梵鏡 ↑


観音堂を護持する
大仰寺は、観音堂より一段低いところにあります。
瑞巌寺100世洞水和尚が開山した臨済宗妙心寺派のお寺です。

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ここからの景色はすばらしい。文政6年(1823)仙台藩の儒学者船山万年が松島湾を眺望するに最も素晴らしい松島四大観のひとつ「麗観」として紹介しています。


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明治9年(1876)東北巡幸の際、明治天皇が御休息した間?  ↑

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大仰寺の庭園 ↑


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大仰寺は入園料 100円です。 ↑

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富山からの風景 ↑ ↓
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2015年5月 2日 (土)

中興山 徳寿院  一関市花泉字西郷目

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奥州三十三観音 第20番札所 中興山徳寿院は一関市花泉字西郷目にあります。
17番札所大祥寺からわずか2.5km離れた地です。

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山門と本堂 ↑

山門は平成11年に改築されました。

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徳寿院 本堂 ↑


本堂は平成21年4月に完成、約200坪の大伽藍の本堂と庫裏です。

徳寿院の開山は、長禄3年(1459)で、ご本尊として延命地蔵尊が安置されています。

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本堂 御本尊延命地蔵尊

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本堂の天井の龍図  ↑


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観音堂 ↑

第20番札所 観音堂は山門を入って左側にありました。

観音堂は元禄時代のものですが、昭和62年に建て替えられ、一間(3.6m)一尺五寸(45cm)の濡れ縁をめぐらした御堂です。

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御本尊  千手観世音菩薩 ↑

戸のガラスが反射して、写真撮影不良。

徳寿院がこの観音様を護持するようになったのは明治以降のことで、それ以前の縁起について詳細は明らかでないが、享保年間(1716~1735)の頃、中村の深井沢屋敷の小野寺家の守り本尊と伝えられています。

いつの世にか天神社境内に移し、さらに、明治の神仏分離令により、徳寿院に祀られるようになったそうです。

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境内にある鐘楼 ↑

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2015年5月 1日 (金)

新山観音堂  一関市花泉町金沢

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新山観音堂の標識 ↑


この標識のとおり登っていくことも可能ですが、その手前の熊井さん宅前通路を行ったほうが分かり易いかと思います。

奥州三十三観音第19番札所 新山観音堂は一関市花泉町金沢にある、寺名のない在家別当の観音堂です。






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熊谷さん宅の前の道路 ↑

別当の熊谷さん宅の前を通って、山道を登ると観音堂が見えてきます。

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熊谷さん宅の前の道路を進むと、この標識があります。↑

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新山観音堂 ↑

文政年間(1818~1829)熊谷家2代目が建立。
御堂は一間半(2.7m)四面に、三尺(90cm)の濡れ縁がめぐらされています。

昭和63年に萱葺き屋根をトタン葺きに改造したそうです。

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観音堂内部 ↑

御本尊十一面観世音菩薩は像高21cm、総高36cmの一木作りの立像だそうですが、普段は別の場所の保管されているのか、確認できませんでした。

藩政時代は羽黒派修験法印によって祭祀が行われていました。

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境内に一関市教育委員会で立てた、奥州三十三観音霊場札所納札についての案内板が設置されています。

それによりますと、この観音堂には、宝暦11年(1761)に現行の札所を定める際に納めた巡礼札が存在し、一関市の指定文化材になっています。




別当の熊谷さんは、現在仙台にお住まいになっています。

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境内の石碑 ↑ ↓





石碑に宝暦の年号が彫られています。

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境内にある祠 ↑

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県道48号線(花泉町から薄衣方向に)にある案内柱を右折して新山観音堂に向かう ↑

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観音堂のある丘陵からの風景 ↑


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