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2015年4月17日 (金)

大嶽山 興福寺  登米市南方町

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赤門にある鳥居 ↑
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奥州三十三観音 第10番札所 天台宗大嶽山興福寺は登米市南方町本郷にあります。
大嶽山観音堂が本堂です。

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  大獄山観音堂↑

寺伝によると観音堂は大同2年(807)坂上田村麻呂の創建です。

坂上田村麻呂が奥州平定の戦いでの戦死者の遺骸を7か所に分散埋葬し、その場所に観音堂を建立したと伝えられている。その一つが大嶽観音堂であり、箟岳観音、長谷観音、富山観音、牧山観音、小迫観音、鱒渕観音と合わせて、奥州七観音と呼ばれています。

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開山以来、修験の道場として栄えてきたが、戦国時代兵火により焼かれ、一時中絶しましたが、元和2年(1616)現在の亘理郡山元町坂本より来山した修験僧永盈(えいよう)和尚が別当となって荒廃した寺塔の復興にあたり中興の祖となりました。


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当地方が伊達政宗の所領になってからは佐沼は要害の地として、家老津田豊前景康
の領地となりました。津田氏は大嶽観音の名跡を重んじ、深く尊崇に勤めました。四代晴康の時、伊達綱宗の祈祷所になった。
宝永5年(1709)落雷により再び焼失したが、伊達綱村により再建された。

もとは羽黒山に属したが、明治維新となって神仏分離令により興福寺と観音堂は一時分離されたが、昭和15年観音堂は再び興福寺に帰属し、以降は興福寺の本堂となりました。




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ご本尊は秘宝十一面観音であります。写真はお前立の仏像です。↑

御本尊十一面観世音菩薩は五尺四寸五分(167cm)台座と後光合わせて十尺(300cm)の木造です。

宝永7年(1710)仙台北山覚範寺門前の仏師次郎左右衛門の作です。
脇侍には不動明王と毘沙門天が祀られています。

秘仏で、次の御開帳は平成29年(2017)7月15日~17日です。



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毎月17日には観音堂で護摩祈祷が行われます  ↑

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観音堂 内部 ↑

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  観音堂外側の板面には、中国から伝わった古今の二十四孝物語が六枚、彫り込まれ、その欄干には、十二支が彫られて、堂の方位が示されている。

中国の二十四孝物語は江戸時代寺子屋で日常生活のしつけの教科書として使われておりました。

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  山門(仁王門) ↑

建築年代は宝永年間と推定される。

  

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仁王像 ↑ 


 
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興福寺 山門  ↑

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六角堂 ↑

六角堂は明治21年観音堂再建に先だって明治17年に建設されました。 屋根が六角形であることから六角堂と呼ばれています。

寺院には珍しい洋式建築様式を取り入れた二階建土蔵造り。


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興福寺には観音堂、六角堂のほか薬師堂、白山堂、鏡楼、庫裏、があります。

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 薬師堂 ↑ 

このお堂の外壁にも絵が描かれています。   

Photo

   白山堂(白山神社) ↑


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   鐘楼↑

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黒門 ↑

興福寺には正門、赤門、黒門の三つの門があるようです。

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奥州三十三観音の旅」カテゴリの記事

コメント

はじめまして?でしょうか。

ご来参いただきまして、誠にありがとうございました。
写真に写っている後姿の坊主こと、大嶽山興福寺の嶽内と申します。

突然のコメント失礼します。
大嶽山興福寺の御開帳は平成30年とご記入いただきましたが、
正確には平成29年7月15日~17日が本寺の御開帳日時です。
当時、ご来参頂いた折にこちらが誤って情報を伝えてしまいました。
誠に失礼いたしました。

現在当寺の御開帳について検索すると、一番にこちらの記事がヒットしますので、
厚かましいお願いではございますが、ご訂正願えると助かります。

改めて、このようなご丁寧な紹介を頂きましたことに御礼申し上げます。
再びひろちゃんさんが当寺にご来参いただけることを
心からお待ちしております!

大嶽山興福寺の嶽内さんのコメント「御開帳は平成30年とご記入いただきましたが、
正確には平成29年7月15日~17日が本寺の御開帳日時です」について。

・早速訂正させていただきました。

・ガイドブック改訂版「奥州三十三観音の旅」河北新報出版センターを参考に記載しました。ガイドブックの記載が間違っているのですね。

・興福寺さんに確認しないまま記載しました。
 ご迷惑をけけ、お詫びもうしあげます。

お手数おかけしまして、大変失礼しました。

また、ご丁寧に改めて頂いたことに大変感謝しております。

おそらくガイドブック作成の取材時に、住職が間違った情報を伝えてしまったのだと思います。誤った情報を提示してしまい、大変ご迷惑をおかけしました。

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