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2015年4月 8日 (水)

円通山 観音寺   栗原市金成

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鳥居 ↑ 観音堂の鳥居か?

奥州三十三観音 第21札所 円通山観音寺は栗原市金成有壁にある曹洞宗のお寺です。
岩手県一関市花泉から県道(旧道)を西に向かって進むと「旧有壁宿本陣」があるが、そこを右折すると間もなく観音寺があります。

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鳥居の右側にある門 ↑  こちらは観音寺の門か?

鳥居と門が並んであります。

観音寺の開創は大同2年(807)坂上田村麻呂です。三上大明神本地観音を建立し伝教大師を開山とし、別当有壁山円通院と号した、天台宗のお寺でした。
一時は24坊を数え、繁栄していましたが、南北朝時代になって廃退してしまいました。
有壁城主菅原帯刀長尚が弘治3年(1557)登米郡永明寺5世澗室守林禅師を開山として再興し、曹洞宗円通山観音寺と号しました。

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観音寺 本堂 ↑

観音堂の由緒も坂上田村麻呂の奥州平定にあるようです。
蝦夷の遺恨が後日人々の上に禍せぬよう各地に建立した観音堂の一つと伝えられています。
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観音堂(水月堂) ↑

観音堂は2.5間(4.5m)四面に2尺5寸(75cm)の濡れ縁をめぐらした御堂です。

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御本尊  馬頭観世音菩薩 ↑    


御本尊の馬頭観世音菩薩は台座光背を合わせて1mほどの坐像です。
馬頭観音菩薩は、本来人間の畜生道の救済と苦悩除去の仏像とされてきましたが、いつの頃からか牛馬の守護神として崇められるようになり、特に家畜を飼う農家などから信仰を集めるように」なりました。近年では、すべての動物を哀れむ仏像として崇拝されるようになりました。

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別名「水月堂」と称される ↑

入口の扉の上には「水月堂」の額が掲げられている。

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本堂の左、鐘楼の前からの坂道を上がると観音堂があります。

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観音堂に通じる坂道 ↑

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境内に案内板がありますが、判読が難しい ↑


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観音寺境内の大木(かや) ↑

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境内の椿 ↑

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観音寺の近くに旧有壁宿本陣があります。↑

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