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2015年4月

2015年4月24日 (金)

松澤山 六角堂    一関市花泉町老松

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松澤山 六角堂は一関市花泉町老松にあります。

六角堂は天平年間(729~749)に茂呂志賀なるものが建立し、この如意輪観世音菩薩を安置したと伝えられる。

名前は六角堂ですが方形のお堂でした。
一間(1.8m)四面に、二尺(60cm)の濡れ縁をめぐらした小さなお堂です。


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六角堂 ↑

古くは観音森(元国有地内)に位置してあったが、神仏混合時代に豊隆神社境内地に移転、さらに安永年間現在の別当である皆川家の先祖の夢枕に観音様が立ち「我は神ではない仏である。村人をお守りしたい故、お前の所有地内に移してほしい」とのお告げがあって、現在の場所に移したそうです。

文化5年(1808)のことです。

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本尊 如意輪観世音菩薩  ↑

寄木造りの高さ40cmの坐像です。
岩座蓮台に片膝を立てた気品ある仏様です。

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六角堂は陸中最古の観音堂です。
18番札所を道慶寺と表記しているものがありますが、廃仏毀釈の際に取り壊しを免れるため、便宜上近くの道慶寺所属としましたが、直接関係なく、現在は皆川さん宅で管理しています。

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皆川さん宅付近 ↑

六角堂より沢に沿って西の方向に600m程進んだところの橋を渡ると、皆川さん宅がありました。

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この橋を渡ったところが皆川さん宅です ↑

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龍雲山 大祥寺  一関市花泉町老松

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奥州三十三観音 十七札所  龍雲山大祥寺は一関市花泉町老松にあります。
花泉町には十七番 ・十八番・十九番・二十番札所が川に沿って点在しています。

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楼門造りの山門 ↑

大祥寺は、開創当初は白龍山岡寺という天台宗のお寺でしたが、廃寺となり正平9年(135)、後に正法寺二世となった月泉良印が再興開山となって寺号を改め、曹洞宗に属した。

以降、正法寺(奥州市水沢区)七世までの住職はこの大祥寺から選任されました。

奥州屈指の古刹として知られています。

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本堂 ↑

本堂は間口9間(16.2m)奥行7間半(13.5m)、欄干のある朱塗りの濡れ縁をめぐらした荘厳な建物で、右隣には平成3年に落成した庫裏があります。

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本尊 釈迦牟尼仏 ↑

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庫裏 ↑
庫裏は檀信徒の仏事をお寺で行うようになった新しい時代の要請にこたえたものだそうです。


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17番札所である観音堂 ↑
観音堂は本堂の左側、小高い丘の上にあって、「西の峰の観音堂」と呼ばれています。
平成7年に三間(5.4m)四面に三尺(90cm)の濡れ縁をめぐらした観音堂に改築されました。
御本尊十一面観世音菩薩は、五尺五寸(165cm)の等身大の立像で、平安時代末期の作と伝えられています。

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観音堂の手前に鐘楼があります ↑

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観音堂の説明板 ↑

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山門の仁王様は青色に塗られていています。

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狛犬ではありません。ライオン(獅子)です。
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2015年4月17日 (金)

大嶽山 興福寺  登米市南方町

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赤門にある鳥居 ↑
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奥州三十三観音 第10番札所 天台宗大嶽山興福寺は登米市南方町本郷にあります。
大嶽山観音堂が本堂です。

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  大獄山観音堂↑

寺伝によると観音堂は大同2年(807)坂上田村麻呂の創建です。

坂上田村麻呂が奥州平定の戦いでの戦死者の遺骸を7か所に分散埋葬し、その場所に観音堂を建立したと伝えられている。その一つが大嶽観音堂であり、箟岳観音、長谷観音、富山観音、牧山観音、小迫観音、鱒渕観音と合わせて、奥州七観音と呼ばれています。

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開山以来、修験の道場として栄えてきたが、戦国時代兵火により焼かれ、一時中絶しましたが、元和2年(1616)現在の亘理郡山元町坂本より来山した修験僧永盈(えいよう)和尚が別当となって荒廃した寺塔の復興にあたり中興の祖となりました。


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当地方が伊達政宗の所領になってからは佐沼は要害の地として、家老津田豊前景康
の領地となりました。津田氏は大嶽観音の名跡を重んじ、深く尊崇に勤めました。四代晴康の時、伊達綱宗の祈祷所になった。
宝永5年(1709)落雷により再び焼失したが、伊達綱村により再建された。

もとは羽黒山に属したが、明治維新となって神仏分離令により興福寺と観音堂は一時分離されたが、昭和15年観音堂は再び興福寺に帰属し、以降は興福寺の本堂となりました。




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ご本尊は秘宝十一面観音であります。写真はお前立の仏像です。↑

御本尊十一面観世音菩薩は五尺四寸五分(167cm)台座と後光合わせて十尺(300cm)の木造です。

宝永7年(1710)仙台北山覚範寺門前の仏師次郎左右衛門の作です。
脇侍には不動明王と毘沙門天が祀られています。

秘仏で、次の御開帳は平成29年(2017)7月15日~17日です。



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毎月17日には観音堂で護摩祈祷が行われます  ↑

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観音堂 内部 ↑

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  観音堂外側の板面には、中国から伝わった古今の二十四孝物語が六枚、彫り込まれ、その欄干には、十二支が彫られて、堂の方位が示されている。

中国の二十四孝物語は江戸時代寺子屋で日常生活のしつけの教科書として使われておりました。

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  山門(仁王門) ↑

建築年代は宝永年間と推定される。

  

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仁王像 ↑ 


 
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興福寺 山門  ↑

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六角堂 ↑

六角堂は明治21年観音堂再建に先だって明治17年に建設されました。 屋根が六角形であることから六角堂と呼ばれています。

寺院には珍しい洋式建築様式を取り入れた二階建土蔵造り。


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興福寺には観音堂、六角堂のほか薬師堂、白山堂、鏡楼、庫裏、があります。

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 薬師堂 ↑ 

このお堂の外壁にも絵が描かれています。   

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   白山堂(白山神社) ↑


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   鐘楼↑

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黒門 ↑

興福寺には正門、赤門、黒門の三つの門があるようです。

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2015年4月14日 (火)

三聖堂(青竜山瑞巌寺)  松島町

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清龍山 山門  ↑

日本三景のひとつに数えられている松島に臨済宗 青龍山瑞巌寺があります。


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山門から瑞巌寺本堂に通じる道の杉木は震災以前に比べ大分少なくなrっていました ↑

六番札所の観音堂は瑞巌寺の正面受付の手前を左に50mほど行ったところにある萱葺きの小さな御堂です。

なお、御朱印は正面受付でいただきました。

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三聖堂 ↑

二間(3.6m)  四面に二尺六寸(78cm)の濡れ縁をめぐらし、正面には「三聖堂」の額が掲げられています。

御本尊は、聖観世音菩薩で、恵心僧都の作と伝えられ、もともとは美濃の蜂谷定国の持仏でした。
ところが、一族の衰退を受けて堂宇は荒廃してしまいました。
定国の子孫はこれを嘆き、その復興を志し、尊像を背に縁を求めて諸国を遍歴。
その道すがら松島の絶景に魅せられ、ここに留まり蜂谷を姓として小堂を建て尊像を安置しました。


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土地の人はこの観音を蜂谷観音と称して信仰しました。
その後、一時は荒廃したものの天和2年(1682)に瑞巌寺鵬雲禅師が新たに御堂を建立し、この時に御本尊を中心に左に達磨大師、右に菅原道真の像を配して三聖堂と名付けられました。
この堂は初め北向きで女性禁制であったが、宝永6年(1709)瑞巌寺夢庵禅師が現在の南向きに直させ、女人も参拝できるようになったと伝えられていますす。


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観音堂の前には「軒端の梅」という梅の老木があり、嫁ぐ予定の相手が急死したにもかかわらずその舅姑に仕え、やがて瑞巌寺で尼となった紅蓮尼の悲恋物語を今に伝えています。
紅蓮尼は堂守のかたわら供物で煎餅を作り、それを参拝者に売って生活を支えていました。嘉歴4年(1329)に天寿をまっとうした後も、紅蓮尼の残した煎餅は、松島名物「紅蓮煎餅」としてその名を今に伝えています。

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秋田県にかほ市(旧象潟町)と松島町は「夫婦町」です。
象潟の娘タニ(のちの紅蓮尼)と松島の若者小太郎の悲恋物語が今も二つの町を結び付けています。


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瑞巌寺は仙台藩初代藩主伊達政宗が再興に取り組み、慶長14年(1609)伽藍を完成させた東北随一の禅寺であるが、その一角にある「三聖堂」だが、訪れる人も少なく、通り過ぎて行く人が殆どの観音堂である。
瑞巌寺のご本尊も聖観世音菩薩で、瑞巌寺本堂を六番札所と誤認している人も多いそうです。

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円通院から瑞巌寺への参道 ↑

「三聖堂」の道路向かいには「円通院 山門」があります。
今が桜 満開です。


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瑞巌寺本堂は現在大修理中で拝観出来ません ↑

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瑞巌寺境内には西国三十三観音巡拝所があります。

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西国三十三観音 第一 青岸渡寺  如意輪観音 ↑

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第八番 長谷寺 十一万観音 ↑

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2015年4月 9日 (木)

無夷山 箟峯寺   涌谷町箟岳

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観音堂 ↑

大崎平野 涌谷町に、標高232mの独立峰箟岳山がある。
古くから信仰の山として、崇められている山です。
山頂に奥州三十三観音9番札所 天台宗 無夷山箟峯寺があります。

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御本尊(お前立) ↑


御本尊は十一面観世音、高さ一尺一寸、秘仏で閻浮檀金立像、三十三年ごとに御開帳されます。
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左脇侍に不動明王像運慶作  右脇侍に毘沙門天像で徳一大師と伝えられていたが、両脇侍とも天保13年の野火で失われ、現在の両脇侍は文久年間に寄進されたものです。

箟峯寺という寺銘は一山の総称で、観音堂を中心に白山堂、山王堂、及び16坊(往古は24坊)の宿坊から成り立っている。

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鐘楼 ↑

この梵鐘は、寛文事件の際、原田甲斐により斬殺された涌谷伊達氏4代宗重の供養のため、5代宗元が寄進したものである。

「一山記録」縁起書によると箟峯寺は、光仁天皇の勅願で宝亀元年(770)の草創、大伴するが麻呂が白山堂(宮)を建立した。
その後、延暦20年(802)坂上田村麻呂の蝦夷討伐の後、観音堂を建立し、京都清水寺の十一面観音堂を勧請、法相宗霧岳山正福寺と号し延鎮僧都を開祖とした。

嘉祥2年(849)比叡山延暦寺第三世座主慈覚大師(円仁)が中興し、弟子の尊常を住院せしめ、無夷山箟峯寺尊常住院と改め天台宗の寺となりました。


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観音堂外陣正面には「奥州鎮護」の扁額(縦1.7m 横1m) ↑

境内の堂塔は、しばしば火災にあっているが、天正19年(1591)の葛西・大崎一揆による戦火を受けて焼失し、観音堂は正保2年(1645)に伊達忠宗が再興し朱印地を与えられた。

天保13年(1842)に18坊中の11坊を焼く大火に見舞われ、嘉永4年(1851)に再建されたのが現在の堂宇である。

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仁王門 ↑

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仁王様 ↑ 

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山門 (西大門) ↑

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山門傍 箟峯寺の由緒が記載された石碑 ↑


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白山堂(宮) ↑


仁王門の右手前に白山神社がある。
石川・福井・岐阜の三県にまたがる白山を崇拝する白山信仰と天台密教との神仏習合の形態を残すものであり、白山妙理菩薩を本尊とし、十一面観音を本地仏とする。

正月行事の白山神事(宮城県指定無形民族文化財)は大晦日より1月25日まで神事が続く。
1月25日の祭礼では、烏帽子・直垂姿の稚児による御弓神事が行われ、当たった矢数でその年の天候を占う。


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山王堂 ↑

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境内にある征夷将軍田村麻呂1000年の供養碑 ↑

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門脇白風の碑 ↑


「説明書き」にはつぎのように書いてあります。

「坂上田村麻呂の蝦夷征伐は地元民からみれば、先祖のえみしが西方権力のいわれなき侵略を受けたことになる。しかし、今日は、そのえみしの子孫が鬼やらいをしたというのが句の大意。ここで鬼を征服者や戦争に見立てるなど、多様な解釈が可能。奥深いものを秘めた区である」

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観音堂を中心にして16の宿坊があります。 (1月撮影)↓ ↑

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観音堂の西側 かたくりの花が咲いています ↑

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境内には「夫婦杉」等 杉の古木(大木)が多くあります。  ↑

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石仏広場には水芭蕉が咲いていました。 ↑

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山頂からの景色もすばらしいですよ。↑↓

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2015年4月 8日 (水)

円通山 観音寺   栗原市金成

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鳥居 ↑ 観音堂の鳥居か?

奥州三十三観音 第21札所 円通山観音寺は栗原市金成有壁にある曹洞宗のお寺です。
岩手県一関市花泉から県道(旧道)を西に向かって進むと「旧有壁宿本陣」があるが、そこを右折すると間もなく観音寺があります。

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鳥居の右側にある門 ↑  こちらは観音寺の門か?

鳥居と門が並んであります。

観音寺の開創は大同2年(807)坂上田村麻呂です。三上大明神本地観音を建立し伝教大師を開山とし、別当有壁山円通院と号した、天台宗のお寺でした。
一時は24坊を数え、繁栄していましたが、南北朝時代になって廃退してしまいました。
有壁城主菅原帯刀長尚が弘治3年(1557)登米郡永明寺5世澗室守林禅師を開山として再興し、曹洞宗円通山観音寺と号しました。

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観音寺 本堂 ↑

観音堂の由緒も坂上田村麻呂の奥州平定にあるようです。
蝦夷の遺恨が後日人々の上に禍せぬよう各地に建立した観音堂の一つと伝えられています。
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観音堂(水月堂) ↑

観音堂は2.5間(4.5m)四面に2尺5寸(75cm)の濡れ縁をめぐらした御堂です。

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御本尊  馬頭観世音菩薩 ↑    


御本尊の馬頭観世音菩薩は台座光背を合わせて1mほどの坐像です。
馬頭観音菩薩は、本来人間の畜生道の救済と苦悩除去の仏像とされてきましたが、いつの頃からか牛馬の守護神として崇められるようになり、特に家畜を飼う農家などから信仰を集めるように」なりました。近年では、すべての動物を哀れむ仏像として崇拝されるようになりました。

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別名「水月堂」と称される ↑

入口の扉の上には「水月堂」の額が掲げられている。

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本堂の左、鐘楼の前からの坂道を上がると観音堂があります。

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観音堂に通じる坂道 ↑

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境内に案内板がありますが、判読が難しい ↑


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観音寺境内の大木(かや) ↑

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境内の椿 ↑

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観音寺の近くに旧有壁宿本陣があります。↑

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2015年4月 7日 (火)

音羽山 清水寺   栗原市栗駒岩ヶ崎

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奥州三十三観音16番札所 音羽山清水寺は栗原市栗駒岩ヶ崎にあります。
この辺りには、黄金寺など多くの寺があり、町の古さを物語っています。

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清水寺本堂 ↑


大同2年(807)、坂上田村麻呂の奥州進攻のため、この地に滞陣したとき霊夢をみて将軍の守り本尊として兜に埋めてあった閻浮壇金の金銅仏(5.5cm)の聖観音像を勧請し、東北ではまれにみる名刹霊場となっています。
本尊聖観音菩薩は秘仏で、33年毎に開帳されます。

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貞応年間(1222~1223)三迫森館主弥平兵エ師門その夫人と共に観音を信仰し、莫大な寄進をおこない京都清水寺に模して壮麗な堂塔を建立し、隆盛を極めたが、寛政6年春野火により全山焼失した。
今に残る庭園は往時を偲ぶことができます。

寛永2年(1625)藩祖政宗公が参詣された記録も残っています。



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京都清水寺を模した浄土庭園は、莫大な寄進をなした夫人の名にちなんで「千寿園」と名づけられています。


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本堂の東側にある千寿ケ池を中心とした庭園は松と広葉樹林の自然林に囲まれ、春にはツバキやサツキが咲き乱れ、秋には千寿ケ池が真っ赤にそまるほど赤にそまるほど紅葉します。(宮城の旅 ふるさと再発見から )



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私が参拝したのは4月5日でしたが、境内の梅が満開でした。

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境内の百日紅(さるすべり)の古木 ↑


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弁天様 ↑

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お稲荷さま ↑


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境内の石仏 ↑

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紅梅 ?  ↑

2015年4月 6日 (月)

楽峯山 勝大寺  栗原市金成小迫

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奥州三十三観音 22番札所 楽峯山勝大寺は栗原市金成の丘陵にあります。

真言宗智山派のお寺です。

4月5日参拝した日は「小迫の延年」小迫祭りが行われていました。

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勝大寺 本堂 ↑

勝大寺の開創は、延暦23年(804)。
坂上田村麻呂が奥州平定の戦の折り、古くからこの地に鎮座する白山神社龍蔵大権現に戦勝を祈願し、戦が終わり無事帰洛する際にも再び神社に詣でた。
勝利の報告をするとともに戦没者の霊を敵味方なく弔うため、神社の前に一宇を建立し、十一面観世音菩薩を安置しました。

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本堂内部 本尊は不動明王 ↑



大同2年(807)に改めて慈覚大師を開山に請い、天台宗蓄峯山法華寺と号した。
文治元年(1189)の奥州合戦の際には、源頼朝が鎌倉に帰る途中立ち寄って報祭し、野祭りを開催したが、現在まで受け継がれている「小迫延年」であります。
南北朝時代に入ると天台宗は徐々に衰退、永和元年(1375)、祐弁阿闍梨が入山し、真言宗として再興し、楽峯山勝大寺と改めた。

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観音堂 ↑

観音堂は別名「小迫観音」と呼ばれ、勝大寺本堂から約300m離れたところにあります。
坂上田村麻呂によって建立された奥州7観音のひとつ、本尊は十一面観世音菩薩です。
4間(7.2m)四面、5尺5寸(135cm)の濡れ縁をめぐらし、江戸中期に建立されものです。その荘重な構えと境内の静寂に修験山伏祈祷道場であった昔を偲ぶことができます。

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お前立の十一面観世音菩薩 ↑

御本尊十一面観世音菩薩は、元禄10年(1697)まで一度も御開帳されず、秘仏とされてきたが、元禄以降は三十三年に一度御開帳が行われています。


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護摩祈祷 ↑

観音堂では護摩祈祷が行われました。

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観音堂の裏、83段ほどの石段の上に白山神社が祀られています。


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観音堂の脇、鳥居を入って階段を上ると白山神社です ↑

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白山神社拝殿・本殿 ↑

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