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2015年3月 4日 (水)

大白山 長承寺  登米市中田町

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長承寺 鳥居と山門  ↑

登米市中田町上沼に奥州三十三観音 第23番札所 曹洞宗長承寺があります。 寺の裏山は大泉城址で、眼下に北上川が流れています。
庫裡で参拝の挨拶しようと玄関前に立つと、犬が迎えてくれました。

ご住職と奥さんからお茶のご接待をうけ、さらに本堂を案内していただきました。
大変ありがたいことです。 感激。

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長承寺観音堂 ↑

● 草創について

・弘仁元年(810)慈覚大師が奥州巡錫の折り、この地を訪れて草庵を結び、しばらく逗留して自ら四尺六寸(135cm)の千手観音菩薩坐像を彫刻、御堂に安置したと伝えられています。
それが二十三番札所のご本尊です。

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本堂にあった千手観音像の写真を撮影させていただきました。 ↑



・さらに、大師は不動明王、毘沙門天、二十五菩薩を彫刻し、ご本尊とともに安置しました。

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本堂 ↑

・また、本堂には阿弥陀如来、山門には仁王の大像、外堂には白山、薬師の尊像を彫刻し、安置しました。

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子安観音堂 ↑

子安観音堂には得一作の地蔵菩薩、庫裡には運慶作の韋駄天尊を安置、一山の諸堂すべてが完成したのは嘉祥2年(849)、慈覚大師が草庵を結んでから40年後でした。

・その時にはすでに大師の後継・慈円律師の代になっており、改めて天台宗補陀山観音寺と号しました。
その後280年間詳細は不明で、長承元年(1132)天台の覚源法師がこの寺の再興に務め、補陀山長承院と改め、その後75代崇徳天皇の勅願時となり、号を長承寺となりました。

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・その後も藤原氏や葛西氏、帰依する一族の盛衰とともに隆盛と衰微をくり返し、永禄2年(1559)天台宗から曹洞宗に改め、大白山長承寺と号しました。

ご本尊は釈迦牟尼仏です。

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本堂 ご本尊釈迦牟尼仏 ↑

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観音堂は、3間(5.4m)四面に4尺5寸(135cm)の濡れ縁をめぐらした御堂で、建立について記録はないが、室町初期(1350)頃と伝わる。

御堂の床下に1万1千以上の一石一経の小石があり、天明、天保の飢饉で亡くなった人々の供養とされている。


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妙理堂 ↑

本尊は妙理菩薩、薬師如来です。


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本堂には多くの掛け軸が飾ってありました。
ご住職が手表装したものだそうです。

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土井晩翠の自筆の掛け軸です ↑

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長承寺の案内板 ↑

昭和52年に大改修が行われた。

宮城県の文化財保護委員が視察に訪れた際、長承寺は建物、仏像とともに国宝あるいは重要文化財級のばかりと称賛されたといいます。

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