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2015年3月 3日 (火)

遮那山 長谷寺  登米市中田町

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奥州三十三観音 第二十四番札所 「天台寺門宗 遮那山 長谷寺」は登米市中田町浅水にあります。 2015年3月3日 参拝しました。


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観音堂 ↑

・長谷観音の創始の歴史は古く、天平宝字六年(762)に陸奥守・藤原恵美朝獦が山頂に笏を納めこの地の発展を誓願し、神護景雲二年(768)、釈勝道上人が世尊山法誓寺を建立しました。

・延暦20年(801)に坂上田村麻呂が奥州平定に出陣するにあたって、大和国初瀬山長谷寺に戦勝祈願し、勝利することが出来たが、大同二年(807)この山に初瀬山長谷寺を勧請して、長谷観音院と号しました。

・陸奥国7ヶ所に建立された観音堂のひとつであり、藤原清衡や葛西清重らの帰依により長く栄えました。

・1557年天台宗から修験道に改宗。

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長谷観音堂前に見える大木は遮那桜の木です。 ↑

・天正18年(1590)、豊臣秀吉により葛西家の領地没収の後、次第に衰退の一途をたどりはじめ、数坊がキリスタン信仰をしたとの理由で伊達政宗の家臣に堂塔を焼かれ衰退の一途をたどりました。

・観音堂は文化10年(1813)水越村肝入り良作が願主となって再建されました。
7間(12.6m)四面に4尺5寸(135cm)の濡れ縁がめぐらされています。

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ご本尊十一面観音菩薩立像 ↑

(長谷寺道場で写真を見せて頂きました。)


・ご本尊の十一面観音菩薩立像は寛永10年(1633)登米伊達家の家臣高橋五郎兵衛重昭が主家の繁栄と武運長久を祈願して奉納したものです。開山以来3代目で、木造身丈7尺2寸(2m18cm、京都の仏師八幡行念の作であります。

・2代目の旧本尊は長谷寺道場に安置されています。
像高は3尺6寸(1m9cm)平安後期、釋恵心僧都の作と伝えられています。

・最初のご本尊の胎内には坂上田村麻呂の奉納した黄金の十一面観音が納められていましたが、天正18年の戦火で焼失しました。



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・明治政府の神仏分離令により、修験道から天台寺門宗に改宗、幾多の盛衰を経て現在に至っています。

長谷寺は十一面観音を本尊、白山権現を守護神とし、広く信仰されていましたが、明治時代に白山神社として、分離されました。

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長谷寺本堂(道場) ↑   

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道場のご本尊 ↑
  
長谷寺道場の本尊は大聖不道明王坐像です。
長谷寺が羽黒山修験道であった時代の本尊で、像高93cmあります。鎌倉時代の仏師光慶の作と伝えられています。

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以前は、美里町の山神神社に祀られていたと伝えられています。↑
堂の右中央に祀られているのが、旧本尊(2代目)の十一面観音像だそうです。
       

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掛け仏 大日如来 ↑


長谷寺道場には多くの仏像、神像が安置されていました。

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長谷観音虎舞の獅子頭 ↑

・長谷寺は長い歴史の中で幾多の盛衰や災難に見舞われながらも、仏像や古文書、絵馬など多く残されています。
さらに、長谷観音虎舞、長谷山打ち囃子、長谷山甚句など民族芸能も伝承されています。

長谷観音虎舞 今年は(2015年)3月1日、雨降る中、実施されたそうです。

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