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奥州三十三観音 第一番札所 曹洞宗 那智山紹楽寺は名取市高館吉田にあります。
この高館山麓には一番札所のほか二番・三番札所が点在します。
また、この地域には名取熊野三社(熊野神社、熊野本宮社、熊野那智神社)も鎮座し高舘山が古くから信仰の山であったようです。
紹楽寺本堂 ↑
開山は飛鳥時代と伝えられていますが、応永20年(1413)山形市半郷安養寺三世融真和尚が曹洞宗に改め開創したが、その後幾度か山火事にあい、西方約200mの所よりこの地に移しました。
山門 ↑
JR大船渡線 気仙沼駅の北側に奥州三十三番観音 三十番札所 曹洞宗 白華山 補陀寺がある。
道路から7段の石段を上がると山門、さらに石段18段を上がると本堂の前庭に出る。
本堂 ↑
奥州三十三観音 第29番札所 曹洞宗 海岸山 普門寺は陸前高田市米崎町にあります。
普門寺の草創は仁治2年(1241)。
臨済宗開祖栄西禅師の弟子記外和尚が開山。
記外和尚は三度、宋に渡ったが、最後の帰国の際に宋の皇帝より聖観音菩薩、愛染明王の掛け軸等五種の宝物を賜った。
本堂 ↑
開山以来260余年の寺歴は明らかでない。
永正元年(1504)当時の浜田城主が石鳥谷の大興寺十世如幻和尚に請い、現在の地に再興開山したという。
天正19年(1591)、慶応3年(1867)の2度火災に遭い、堂宇焼失したが、皇帝より拝領の寺宝は焼失を免れた。
本堂は明治5年(1872)に再建、現在は山門を除く7堂伽藍が整備された。
山門は再建されていない。
御本尊は釈迦牟尼仏です。
本堂の裏手に観音堂があります。 ↑
観音堂には聖観音菩薩が安置されています。
三重塔 ↑
文化6年(1809)岩手県内唯一の塔婆建築の三重塔が建立されました。
地上より12.5mの高さ、気仙大工の粋を集めたものです。
青銅の大仏 ↑
享保3年(1718)唐金の大仏建立。高さ5mあります。
この時代で、青銅製のこの大きさのものは東北では稀有のものです。
境内、本堂前に五百羅漢があります。↑
「未来への記憶プロジェクト」の一環で、被災者を中心とした参加者たちが、彫刻家の指導を受けながら自ら石を彫った羅漢様です。
台の形は船です。 極楽浄土へ向かう船 ↑
安置されている仏像は震災直後百日目に奉納された千体物、①京都の大文字焼きに送られた高田松原の松が諸事情で230体の仏様に変わり、②それから京都静原小学校の児童の作った焼き物の80体、③中心には松原の松で造られたお地蔵さん2体。
上の棚には阿弥陀三尊像が乗っています。
さらに高い位置には日本を代表する版画家井堂雅夫さんが描いた「阿弥陀如来25菩薩來迎図」がかけられていました。
田窪恭二先生の米崎りんご園(屏風) ↑
金沢翔子さんの「書」 ↑

登米市中田町上沼に奥州三十三観音 第23番札所 曹洞宗長承寺があります。
寺の裏山は大泉城址で、眼下に北上川が流れています。
庫裡で参拝の挨拶しようと玄関前に立つと、犬が迎えてくれました。
ご住職と奥さんからお茶のご接待をうけ、さらに本堂を案内していただきました。
大変ありがたいことです。 感激。
長承寺観音堂 ↑
● 草創について
・弘仁元年(810)慈覚大師が奥州巡錫の折り、この地を訪れて草庵を結び、しばらく逗留して自ら四尺六寸(135cm)の千手観音菩薩坐像を彫刻、御堂に安置したと伝えられています。
それが二十三番札所のご本尊です。

本堂にあった千手観音像の写真を撮影させていただきました。 ↑
・さらに、大師は不動明王、毘沙門天、二十五菩薩を彫刻し、ご本尊とともに安置しました。
本堂 ↑
・また、本堂には阿弥陀如来、山門には仁王の大像、外堂には白山、薬師の尊像を彫刻し、安置しました。
子安観音堂 ↑
子安観音堂には得一作の地蔵菩薩、庫裡には運慶作の韋駄天尊を安置、一山の諸堂すべてが完成したのは嘉祥2年(849)、慈覚大師が草庵を結んでから40年後でした。
・その時にはすでに大師の後継・慈円律師の代になっており、改めて天台宗補陀山観音寺と号しました。
その後280年間詳細は不明で、長承元年(1132)天台の覚源法師がこの寺の再興に務め、補陀山長承院と改め、その後75代崇徳天皇の勅願時となり、号を長承寺となりました。
・その後も藤原氏や葛西氏、帰依する一族の盛衰とともに隆盛と衰微をくり返し、永禄2年(1559)天台宗から曹洞宗に改め、大白山長承寺と号しました。
ご本尊は釈迦牟尼仏です。
本堂 ご本尊釈迦牟尼仏 ↑
観音堂は、3間(5.4m)四面に4尺5寸(135cm)の濡れ縁をめぐらした御堂で、建立について記録はないが、室町初期(1350)頃と伝わる。
御堂の床下に1万1千以上の一石一経の小石があり、天明、天保の飢饉で亡くなった人々の供養とされている。
妙理堂 ↑
本尊は妙理菩薩、薬師如来です。
本堂には多くの掛け軸が飾ってありました。
ご住職が手表装したものだそうです。
土井晩翠の自筆の掛け軸です ↑
長承寺の案内板 ↑
昭和52年に大改修が行われた。
宮城県の文化財保護委員が視察に訪れた際、長承寺は建物、仏像とともに国宝あるいは重要文化財級のばかりと称賛されたといいます。

奥州三十三観音 第二十四番札所 「天台寺門宗 遮那山 長谷寺」は登米市中田町浅水にあります。 2015年3月3日 参拝しました。
観音堂 ↑
・長谷観音の創始の歴史は古く、天平宝字六年(762)に陸奥守・藤原恵美朝獦が山頂に笏を納めこの地の発展を誓願し、神護景雲二年(768)、釈勝道上人が世尊山法誓寺を建立しました。
・延暦20年(801)に坂上田村麻呂が奥州平定に出陣するにあたって、大和国初瀬山長谷寺に戦勝祈願し、勝利することが出来たが、大同二年(807)この山に初瀬山長谷寺を勧請して、長谷観音院と号しました。
・陸奥国7ヶ所に建立された観音堂のひとつであり、藤原清衡や葛西清重らの帰依により長く栄えました。
・1557年天台宗から修験道に改宗。
長谷観音堂前に見える大木は遮那桜の木です。 ↑
・天正18年(1590)、豊臣秀吉により葛西家の領地没収の後、次第に衰退の一途をたどりはじめ、数坊がキリスタン信仰をしたとの理由で伊達政宗の家臣に堂塔を焼かれ衰退の一途をたどりました。
・観音堂は文化10年(1813)水越村肝入り良作が願主となって再建されました。
7間(12.6m)四面に4尺5寸(135cm)の濡れ縁がめぐらされています。
ご本尊十一面観音菩薩立像 ↑
(長谷寺道場で写真を見せて頂きました。)
・ご本尊の十一面観音菩薩立像は寛永10年(1633)登米伊達家の家臣高橋五郎兵衛重昭が主家の繁栄と武運長久を祈願して奉納したものです。開山以来3代目で、木造身丈7尺2寸(2m18cm、京都の仏師八幡行念の作であります。
・2代目の旧本尊は長谷寺道場に安置されています。
像高は3尺6寸(1m9cm)平安後期、釋恵心僧都の作と伝えられています。
・最初のご本尊の胎内には坂上田村麻呂の奉納した黄金の十一面観音が納められていましたが、天正18年の戦火で焼失しました。
・明治政府の神仏分離令により、修験道から天台寺門宗に改宗、幾多の盛衰を経て現在に至っています。
長谷寺は十一面観音を本尊、白山権現を守護神とし、広く信仰されていましたが、明治時代に白山神社として、分離されました。
長谷寺本堂(道場) ↑
道場のご本尊 ↑
長谷寺道場の本尊は大聖不道明王坐像です。
長谷寺が羽黒山修験道であった時代の本尊で、像高93cmあります。鎌倉時代の仏師光慶の作と伝えられています。
以前は、美里町の山神神社に祀られていたと伝えられています。↑
堂の右中央に祀られているのが、旧本尊(2代目)の十一面観音像だそうです。
掛け仏 大日如来 ↑
長谷寺道場には多くの仏像、神像が安置されていました。
長谷観音虎舞の獅子頭 ↑
・長谷寺は長い歴史の中で幾多の盛衰や災難に見舞われながらも、仏像や古文書、絵馬など多く残されています。
さらに、長谷観音虎舞、長谷山打ち囃子、長谷山甚句など民族芸能も伝承されています。
長谷観音虎舞 今年は(2015年)3月1日、雨降る中、実施されたそうです。
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