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2015年2月

2015年2月25日 (水)

両峰山 梅渓寺  石巻市牧山

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奥州三十三観音の旅 2か所目は地元石巻市牧山にある第8番札所両峰山 梅渓寺に参拝しました。

今日は(2月26日)、好天に恵まれ、牧山・市民の森には多くの人たちが、ハイキングを楽しんでいました。

牧山は標高250m、山頂近くには零羊崎神社も祀られており、自然と信仰が調和されている霊山です。

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梅渓寺は貞治2年(1363)、奥州市水沢 「正法寺」二世月泉印の法嗣   無盡天全の開山です。その頃、石巻地方は天台宗の勢力が強い地域でしたが、曹洞宗布教の拠点寺院として、牧山に建てられました。
天台宗の廃寺であった「梅谷寺」を改宗改号して復興されたと伝えられています。

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魔鬼山寺(牧山寺)跡 ↑

牧山はかっては魔鬼山といい、この地方の豪族大嶽丸一党の本拠地となっていた。
坂上田村麻呂は奥州平定の際に、この山に入って一党を滅ぼし、そこに一宇を建立、将軍の陣中守り本尊龍乗聖観音菩薩を安置しました。
魔鬼山寺(牧山寺)と号し、戦死者の供養と国家鎮護、五穀豊穣、海上安全を祈願したのが創始の由来として伝えられています。

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石碑「延鎮僧都魔鬼山寺旧跡」 ↑

やがて将軍が都に凱旋するにあたり、よき助言者として将軍に仕えた延鎮僧都を開山として護持せしめたといわれ、「延鎮僧都魔鬼山寺旧跡」と刻した石碑が今も残っています。
延暦17年(798)には観音堂が建立され、本尊 龍乗聖観音菩薩が安置されました。
江戸時代の「封内風土記」によりますと、観音堂の別当寺は天台宗長禅寺(初めは牧山寺)であったそうです。
魔鬼山寺は牧山寺と呼ばれるようになったが、万治年間(1658~1660)、栄存法印入山して再興をはかり長禅寺と改めた。
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零羊崎神社境内に栄存法印は栄存神社に祀られている。↑





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魔鬼山寺跡に立つ案内板 ↑

案内板では「田村麻呂は魔鬼一族の頭首の妻 魔鬼女(まきめ)を倒し、ようやく倒した」と書かれています。
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零羊崎神社の拝殿 ↑


明治初めの神仏分離令により、長禅寺は廃寺となり、本尊龍乗聖観音菩薩は梅渓寺に移遷され、現在は本堂に安置されています。観音堂は零羊神社の拝殿となりました。

梅渓寺「牧山観音」は「富山観音」、「箟岳観音」とともに奥州三観音と呼ばれています。



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梅渓寺前の道路に石碑「牧山観世音菩薩梅渓寺道」があります↑



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牧山からの風景 ↑

2015年2月22日 (日)

天苗山 秀麓齋  名取市高舘

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いよいよ、奥州三十三観音を巡る旅スタートです。

最初の巡礼は第二番札所 「天苗山 秀麓齋」です。
宮城県名取市高舘吉田字上鹿野東にある曹洞宗のお寺です。

お寺ですが「齋」という名です。
全国でも珍しく、日本三齋の一つといわれ、創建は延暦17年(798)征夷大将軍坂上田村麻呂が奥州に蝦夷平定の軍を進めるにあたり戦勝と天下泰平を祈願するため、信仰する西国清水寺の観世音をこの地に勧請したことに始まります。

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ご本尊 ↑

ご本尊 聖観世音菩薩は別名「利勝観音」と称し、坂上田村麻呂の戦勝を祈願し、そのご加護により大任を果たし得たという故事に因むものです。

室町時代・文明年間(1849~1486)に天台宗から曹洞宗に改宗しています。

伊達政宗は慶長2年より翌春3月まで滞留し、千体菩薩を奉納しています。

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本堂 ↑


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山門 ↑

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鐘楼 ↑

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弁財天 ↑

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文殊菩薩 ・ 弥勒菩薩  ↑

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地蔵尊 ↑



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3・11 観音 ↑

東日本大震災に遭遇し、犠牲になられたすべての方々を供養し、み魂を慰め見守っていただく為、この3・11(み・いい)観音を奉安いたしました。

慈しみの目にて人々を”いただき、かかえ”お守り下さるでしょう。

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不動明王 ↑


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奥州三十三観音霊場

奥州札所はいつ頃から設けられたのか定かではありませんが、保安4年(1123)にはすでに慈覚大師開基の三十三観音霊場(奥州古札所)が設定されていました。

その後、名取の老女「旭」という神子が西国に倣い新たに三十三観音霊場を定めてからは、新しい札所が大いに栄えました。
その後、時代の流れにより幾多の盛衰を経て、宝暦11年(1761)に、現在の札所が復興されました。

現在の札所は福島県に3か所、宮城県に18か所、岩手県に12か所にわたり三十三番札所天台寺を札納めとしています。




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秀麓齋は奥州札所連合会の事務所になっており、納経帳や札所巡礼に関して、指導や助言を受けられます。

私も秀麓齋から納経帳購入しました。
そんなこともあって、奥州三十三観音巡礼のスタートは「秀麓齋」としました。

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