お正月を迎える神事 前網五十鈴神社
25日仙台市から宮司を迎え、前網の五十鈴神社では神宮大麻御神像頒布始祭が行われました。
五十鈴神社は古くは「神明社」とも呼ばれ伊勢系の神社で、牡鹿半島エリアの漁師の信仰を集める神社です。
[神宮大麻御神像頒布始祭 祝詞 内海宮司]
この祭りの後、神宮大麻(伊勢神宮のお札)・御神像と五十鈴神社のお札をいっしょに各戸にお届けします。
もうすぐお正月がやってきます。
[祝詞の前半一部分 要旨]
神風の伊勢国の宇治の五十鈴の川上の下つ磐根(いわね)に大宮柱(おおみやばしら)太敷(ふとし)き立て、高天原(たかまのはら)に千木(ちぎ)高知りて鎮(しず)まり坐(ま)す、天照坐皇大神(あまてらしますすめおおかみ)の大前を遙(はるか)に拝み奉りて、恐(かしこ)み恐みも白(もう)さく、----
・大麻 伊勢神宮のお札
・御神像 四柱の神様と釜神様のお神札です
[御神像の一柱 大歳神]
追記
五十鈴神社には、伊勢神宮の五十鈴川に見立てた沢の対岸にあった豊受大神を合祀したとあります。(牡鹿町誌)
また、内海宮司の祝詞によると「明治5年に建てられた」と述べていますが、石巻の歴史(4)によると安永2年(1773年)風土記御用書出にはすでに神明社という名で存在していたようである。明治5年は村社となった年と思われる。
五十鈴神社のとなりには三国神社があります。最近この地に移設されたと聞いていますが、通称大六天様と呼ばれていた神社でないかと思われます。
伝承に、「むかしむかし、近くの釜ノ浜で素水釜の塩煮をしていた頃、女川町の万石浦に面した針の浜から塩焚きに来ていた老夫婦がいた。あるとき海中に光るものを認めて拾い上げると彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の尊像であった。そこで村人に相談して白窪浜の山に祀って祭祀を行っていたが、同夫婦が故郷に戻るときにこの尊像を携えて帰り、前網浜が見える一番高い山に祀るようにと神のお告げのままに祀ったのが三国神社であるという。」(牡鹿町誌から)
なお、彦火火出見尊は母の木花之佐久夜毘売尊によって産屋に放された火が衰えてきたときに生まれたと言われています。海神の娘豊玉毘女と結ばれました。(古事記)
・海上安全
・諸産業隆昌
・勝運招来 の神徳があります。
以上は、牡鹿町誌、石巻の歴史(4) 、古事記を参考に書きましたが、これらも伝承の一つであって、別の言い伝えがあっても不思議ではありません。
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コメント
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前網浜の五十鈴神社、の『御神体』は『彦炎命』で種火の神様だと、聞いた事あります。なので、この浜は、海での、根付けの種は、他の浜より、多いと聞いた事あります。『間違っていたなら、ゴメンナサイ。
投稿: カネノキ | 2012年12月29日 (土) 00時04分